あーたんの読書ブログ

読書感想文かいていきます!

読書感想文#18『読書について 他二篇』ショウペン・ハウエル

「読書とは他人にものを考えてもらうことである。一日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失っていく」ー。

退職してから、とりあえず今までやれなかったことをやろうと考え、二カ月ほど意識的に、いつも以上に本を読んだ。しかし、読んで面白かったと思っても、数日したら忘れてしまうことの繰り返しで、何も身に付いていないような気がしていた。楽しむための読書ではあるが、折角なら何らかの学びを自分の中に残したいと考えていた。そんなところで、この本の表紙の文句が気になり、読んでみた。

最近は、読書は素晴らしいことだ、読書をすれば賢くなれ、年収も上がるといわれるほどまでに読書がもてはやされている世の中なので、それに真っ向から反対して「読書が無駄だ」とはっきり言うこの本は私にとって衝撃が大きかった。でも、ショーペンハウアーが言いたかったのは、私が思うに読書や学習「だけ」をすることは無駄ということだ。そしてそれには同意する。読書「だけ」をしている私が何も得ていないような気がするのは仕方のないことなのだと悟った。

一章めの「思索」の文章を要約すると、以下になる。「多読しても、自分で整理して考えぬいた知識でなければ意味がない。少量でも自分で様々な知識や真理を結合し比較すれば自分の知識として完全になる。我々が考えることができるのは自分で知っていることだけである。」三章めの「読書について」もまとめれば、それに尽きる。

二章目の「著作と文体」は、どちらかといえば書き方について批判したものだ。これも読んでいて耳が痛かった(読んでいたから耳が痛いのは変かな・・・?)この章を要約すれば「文体は気取って書くな。難しい言葉を使ってありきたりなことを言うのはバカだ。難しい言葉を使うのではなく独創的なことを言うためにわかりやすい表現を使え。書きたいことがないやつがものを書くな」。

主には、匿名で本の批評家をするジャーナリスト、編集者や本の意図を曲げてしまう翻訳家、本だけ読んでいる研究者やえせ哲学者を痛切に批判した文章で、著者は匿名の人に厳しく批判されて大嫌いなんだろうな・・・と思うような内容だった。きちがいとか、今では放送禁止用語のような用語も用いて批判していてうけた。

一九六〇年に書かれた本だからなのか、言い回しは結構難しいと思う。そもそも私は岩波文庫にいい印象がない。難しい表現をしている本が多いからだ。この本も翻訳が大変だっただろうなと思う。口コミでは読みやすいという感想が多かったが全然読みやすくない。語調が辛辣でずっと怒られているようで結構笑える。自己肯定感が低い人間が読めばじゃあもう本も読みたくないし文章も書きたくないとなるかもしれない。私も一瞬その境地に至ったが、いやそもそもお前何様やねんwと思って読んだら結構面白かったので、そのくらいの向き合い方でいいと思う。

今後気をつけようと思ったこと。
読書した後、自分の頭で考えること。思索すること。このブログを書くみたいに。
多読するだけでは無駄。
文章を書くときは、伝えたいことを必ず持っておくこと。
伝えたいことは一つずつ伝えること。
文体を飾り立てず読者の視点で伝えようとすること。
できるだけ古典を読むこと。

このように考えてみると結構学びの多い本だったかな。話口調でかくな、書き言葉を使えとかも書いてあったからブログ書くのもすいませんって感じではあるが、ブログってゆるいところがブログなんだよね。

 

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